yuiwai’s blog

僕の好きなものをオススメしたり、趣味や日常のことを書くブログです

アバラ - 凝縮された弐瓶ワールド

単行本2巻に弐瓶氏の独特の世界観が凝縮された作品。

 

物語の舞台は、文明が衰退して荒廃した世界 。冒頭、医療機関に駆け込む男性のシーンでは、予約がないと診療が最速でも14日後という、システムの破綻を感じさせるとんでもない状況が見て取れます。

 

この、初っ端から「暗く、重い」感じ。漂う終末感がたまらないですね。
この荒廃した感じはある意味、弐瓶ワールドに共通している世界観かもしれないです。

 

さて、本作に出てくる「奇居子(がうな)」は弐瓶さんの複数の作品で繰り返し登場するスターシステム的な存在。「シドニアの騎士」にも登場しましたね。本作における「奇居子」が、シドニアにおけるそれとどう関係しているのかは不明ですが、恐らくは直接的な関連はなく、あくまでも命名や概念の一部を共有した別モノだと思われます。

これに限らず、弐瓶さんの作品には、同一名で違う概念のものがたくさん登場します。 

手塚治虫さんの作品にもこのようなスターシステム的なキャラはたくさん出てきますが、長くその作者さんの作品を読み続けていると生じる本編とは別の楽しみという感じで好きですね。 

作中には「体制側」とそこに抗う「レジスタンス」的なパンクな構図があります。そこに未知なる敵、さらに謎の助っ人的な要素も加わって、短編ながらもドラマチックなシーンをいくつも生み出しています。

それぞれが、それぞれの目的のために命を掛けて為すべきことをする。そういう多角的な展開をうまく詰め込んでいると思います。

 

情報は全ては説明されていなくて、「こういうことなのかな?」という読者側の想像というか、妄想の余地を残していますが、それもまた良いのではないでしょうか?

全ての辻褄を合わせてそれを全部説明して...という手順のためには相当なコマ数を割くことになるでしょうし。

また、詳細が不明になっている部分は、色々な可能性を含めて読めます。そこを具体的に説明してしまうと、可能性の広がりを失ってしまう気がするのです...。

 

下巻に入っている特別読切作品「DIGIMORTAL」も、これぞサイバーパンク!という展開が熱いです。合わせてぜひ楽しんでください。

 

ナウシカを映画でしか知らない人に伝えたいこと

映画作品「風の谷のナウシカ」を知っている人は多いと思いますが、その原作をご存知でしょうか?

存在は知っていても、読んだことはない、という方も多いかと思います。

 

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

 

 大型本全7巻で、相当な迫力です。

映画版では出てこない設定や人物などが出て来ますし、終盤は別世界かというような展開になっています。

 

映画で「ナウシカ」の世界観が気に入った(が、原作はまだ)という方には、是非とも読んでいただきたいです。

 

この作品を読んでいると、「絶対的な悪など存在しない」と思うと同時に「絶対的な正義など存在しない」とも思えます。

皆、それぞれの立場ですべきと思うことをしている。たとえ、それが誰かを悲しませたり、ときには全てを奪うような非常な行為だとしても...。

 

ナウシカは、この作品にとっての絶対的な主人公です。その存在感は圧倒的で、作中の多くの人物(立場も信条も違う人々)の心を動かします。彼女の存在が中心となり、物語が進行していると言っても過言ではないでしょう。

そんな彼女が魅力的なのは、「危うさ」があるからではないでしょうか。

ナウシカは、他の皆と同じく、生身の人間であり、怪我もすれば病気にもなる。魔法使いでもなければ超人的な能力を持っているわけでもない。悩み、苦しみもする。

そんな、等身大のナウシカの姿に僕は心を揺さぶられるのです。

 

また、この作品の大きな魅力は、丁寧に作り込まれた世界観だと思います。

リアルな世界観の根底には、日常があります。そこには、「物語を語るための設定」ではなく、「人々が暮らす場所」としての世界があります。何を食べ、何を作り、何を生業として彼らが暮らしているのか。気候や地形、自然との関わり合い、伝統や風習、文化や経済、国家や政治...。

そこに矛盾があれば、すぐに世界観は崩壊してしまいます。

魅力的な人物達の背後には、しっかりとしたバックグラウンドが欠かせません。
この作品では、そこが非常によく描かれていると思います。

 

そんなナウシカが生きる世界には、大きな秘密が隠されています。
これは、是非読んで体感してください。

終盤に向けて、物語が収束していく様は圧巻です。

BLAME!という漫画 -- LOG.0 無限拡張都市

BLAME!とは

 「BLAME!」は2017年に映画化されたのを機に知った人も多いかと思いますが、原作は単行本全10刊の漫画です。

ジャンルとしては、SFあるいはサイバーパンクと言えると思います。

極端にセリフが少なかったり、設定に関する説明も作中でほとんどなされないため、読み解くのは容易ではなく、様々な解釈が出来るため、詳細な考察サイトや記事があったりします。

 

作者は二瓶勉氏。有名な作品として、アニメ化もされた「シドニアの騎士」があります。 

 

僕は二瓶氏の大ファンですが、特にこの「BLAME!」には強い思い入れがあります。

この作品に対する僕の感想を、何回かに分けて記事にしますので、気になった方はぜひ読んでいただけると幸いです。

途中、ネタバレ的な要素も含みますので、ご注意ください。

 

BLAME!  (ブラム!) コミック 全10巻 完結セット (アフタヌーンKC)

BLAME! (ブラム!) コミック 全10巻 完結セット (アフタヌーンKC)

 

 

もしこの記事をきっかけに、作品を読んでくださる方が少しでも増えたなら、いちファンとしても嬉しい限りです。

 

無限拡張都市

初回は、本作の舞台である「都市」について。

この物語を語る上で、決して忘れてはならない、影の主役とも言える存在と僕は考えます。 もし、無尽蔵に広がる都市を生命体ととらえると、それは生存競争における圧倒的な勝者ではないでしょうか。

 

作中では、詳細に触れられることはないものの、様々な様式の建築物、巨大な構造体、未知のテクノロジーで構築された機械群が出てきます。これらを見るに、都市は生きており、独自の進化を模索し続けていると思えます。

 

と、ここまで書いてきましたが、都市はこの「BLAME!」の世界における舞台であり、インフラ、平たく言えば「背景」です。作品にとってはなくてはならない存在ではありますが、一般に読者の興味は「舞台」ではなく、その上で振る舞う「演者」に向けられるでしょう。

それでもあえて、「都市」を初回の記事のテーマとして取り上げたのは、それだけこの「舞台」が魅力的であり、「BLAME!」の世界観を語る上で欠かすことはできないものだと僕が考えているからです。

 

人類の滅びの未来を描いた作品は数多くありますが、たとえそうなったとしても、単にメインプレーヤーの交代に過ぎず、代わりの何かが繁栄するだけのこと。そして、世界は変わらずそこに存在する。そういう無常観を感じます。

 

BLAME!」を読む際には、ぜひ、「都市」に目を向けて見てください!

手塚治虫の名作、「アドルフに告ぐ」

舞台は第二次大戦下の日本、そしてドイツ。

3人のアドルフと、その周囲の人たちの生き様を描いたヒューマンドラマ。

 

終始作中に流れる重く暗い影は、戦争という悲惨な歴史を読者の心に刻みつける。

戦争が人の心を歪ませ、生じた歪みは家族や友情を無情にも引き裂いていく。

そんな中でも、強い信念を掲げて生きる登場人物たちの気丈な姿に胸を打たれる。

 

個人的に、手塚治虫の最高傑作なのではないかと思っている作品です。

 

 以下、作品のあらすじには極力触れずに感想を書きたいと思います。

 

非常に多くのテーマを含んだ作品

戦争、人種、民族、思想、家族、友情、愛、怨讐、栄光と挫折、歓喜と苦悩、そして生と死...

ともすれば消化不良になりそうなほど、重いテーマが詰め込まれていますが、そこはさすがの手塚治虫先生。軽妙なタッチでときにコミカルに、ときにシリアスに、絶妙なバランスでひとつの作品として昇華させています。

絡み合う運命の糸、出会いと別れ、伏線、そして回収

作中の人物は、中盤以降、ほとんど変わりません。

登場人物の顔ぶれは変わらずに、しかし、時代が確実に変化していく。

そして、忘れかけていたような人物がひょっこり現れたり、まさかと思う人同士が繋がったり、そして、突然の別れが訪れたり... 

 

物語を構築する上で、各人物の役割が最初からきっちりと決められた上で、その構想をブレずに結末までなぞっていく。

言葉で言うのは容易いですが、実際にやってのけるのは大変です。

 

後世に語り継ぎたい作品

戦争が、いかに人を狂わせ、生活を壊していくのか。作者自身がその時代を生き延び、体験したからこそ書けるものがあると思います。

フィクションですので、もちろん、脚色や演出が加わっている部分はあるでしょう。それでもなお、実際に目で見て肌で感じたことを体験者が描いているのだから、後から資料を見て描くのとは違うリアリティがそこに存在するはずです。

 

僕自身も、戦争を知りません。重い口を開き、戦争の体験を語ってくれた祖母ももう他界しました。戦時中、各地で何が起こっていたのか、それを語れる人は残りわずかになっています。

 

そこから何を感じ、どう行動するのかは、未来を託された僕たちに与えられた課題なのだと思います。